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ブラジルのチャリティー 呂比須さん

2011/04/02 18:20

 

お久しぶりです。

 

地震前のことですが、ブラジルに取材に行っておりました。

「希望大国ブラジル」という連載企画が3月8日に始まり、東日本大震災の発生により、中断していたのですが、4月2日付けで再開しました。

 

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110401/amr11040120120013-n1.htm

 

このなかで、東日本大震災への義援金を募るチャリティーマッチがブラジルで開かれることについて、触れています。

 

元日本代表監督のジーコ、元鹿島、ヴェルディのアルシンド、元セレッソ大阪のジルマール、ビスマルク、ペレイラ(元ヴェルディー)Jリーグ経験者が参加を表明しているほか、日本と直接関わりのない選手でも、生涯1000ゴール(諸説もあり)を記録したロマーリオやライーら、往年のセレソンブラジル代表)名プレーヤーも参加するようです。

 

ちなみにサンスポの報道にもありますように、

http://www.sanspo.com/soccer/news/110402/sca1104020504001-n1.htm

先日、大阪で開催された日本代表とJリーグ選抜のチャリティーマッチで劇的なゴールを挙げたカズこと三浦知良選手も招聘されていて、他の日本人選手も数人呼ばれているとのこと。

 

と、日本人選手といったところで、忘れてはいけないのは、

上記写真の方。呂比須ワグナーさん。

 

日本が初出場したフランスW杯に日本代表で出場し、唯一のゴールをアシストした選手です。今は2月初旬から、サンパウロ州リーグのパウリスタFCで監督をしていらっしゃいます。

 

「日本人として何かできないかずっと考えていた。アルシンドさんから(出場依頼の)電話がかかってきたときは本当に嬉しかった」。日本での報道では呂比須さんの出場が記載されているものは未だ見つかりませんが、電話取材したところ、何としてでも出場したいとのこと。試合が開催されるパラナ州のクリチバまでは、1時間強で到着できるので、少しでもプレーするそうです。

 

実は、呂比須さんは、自身のパウリスタFCでも東日本大震災の復興支援のための取り組みを進めています。パウリスタFCには日本と直接関係する選手はいないのですが、(広報担当は日系人の方です)、日本語で応援メッセージを書いた白いTシャツを販売したり、次の試合でもチケットを半額にして、売上げを日本への支援物資にする方向で、チームの社長と交渉しているそうです。

 

それもこれも、呂比須さんが、「日本を本当に故郷だと思っている」こと、その実直な人柄でチーム関係者やファンからも強い信頼を得ていること、この両方があって初めて可能なことだと思います。実際、就任1カ月で、チームは目標のサンパウロ州リーグ、ベスト8進出を達成せんとするところまで来ています。

 

呂比須さんは、日本でなかなか指導者の道が見つからず、今はブラジルで実績を積んでいる形ですが、それだけに「故郷」に対する思いは、日本にいる日本人に負けないぐらい強く感じところがあるのかもしれません。

 

各国で、日本を応援するチャリティーや活動が開かれていますが、それを主目的とした試合が行われるのは、これまでにないのではないでしょうか。呂比須さんは「僕たちは日本のおかげで色んなことを経験できたとの思いがある。そしてブラジル人は日本人が好きだから、こういう事態の後、普通の生活につなげるように協力したい」。地球の反対側から、これだけ強い応援メッセージが送られていることに胸が熱くなると同時に、何とか被災地に届いてもらいたい、そして個人としての感情を交えると、何とかこの試合を日本で見たい!と願う次第です。

 

東京電力にて

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右、左 どっちですか?

2010/10/25 22:23

 

こんにちは、

 

もうすでにご覧になったことがある方も多いかもしれませんが、

上記の画像。

 

どっち回りに見えますか?

 

おそらく右に見えた人は「右に決まってんじゃねえかよ!」とお思いになるかもしれませんが(逆もしかり)、実際は2次元画像でどっちに回っているわけでもなく、我々の脳が情報を勝手に補って、どっちかの向きに回っているように〝錯覚〟しているわけです。

 

ということで、「右向けだろーよ」とお思いになった方も、ふとしたタイミングでもう一度見たりすると、ふとしたことで逆回りにも見えると思います。

 

ちなみに、

これはよくある「右脳派」、「左脳派」論議にも使われているようです。

http://www.heraldsun.com.au/news/right-brain-v-left-brain/story-e6frf7jo-1111114603615

ヘラルド・サン紙によると、右回りに見えた人は右脳派、左回りに見えた人は左脳派なんですと。

 

実は、これは先日の台湾取材で、某企業の社長が哲学めいたプレゼンを進めるなかで紹介した一コマ。人間の頭は「知らぬ間に錯覚に支配されている。正しく見えていることが、必ずしもそうではない」ということを説明したかったのだそう。

 

帰国し、その辺りの原稿の提出期限がすぐそこに迫る今、作業から逃避モードがピークが絶頂に達した今晩に至り、思い出してしまったわけです。

 

よろしければお楽しみあれ

 

 

 

 

 

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貼心提醒

2010/10/15 07:32

 

可以一起吃飯嗎?

 

ということで、現在、台湾は台北におります。

はい、一応仕事です。というよりも、かなりの仕事漬けです。

 

世の中にはプレスツアーなんてモノが存在するのですが、

現在、台湾の国際企業や売り出し中の企業をクマナク回り、

ひたすらインタビューをしているわけです。

 

良きにつけ悪しきにつけ、記者は自分のペースで仕事を組むことに慣れてしまっているので、この朝から晩までみちみちスケジュールは、なかなか慣れません。飯はおいしいですが…。逆に出稿だらけの出張でも、自分でタイミングを図れているうちは寝なくても、幸せなのかもしれません。この場合はご飯を食べるタイミングがなかなか見つからないと。

 

で、

 

よく、外国の友人や、出張多い人は「台湾は(人や街の雰囲気が)日本みたいなもんだから」などと言いますが、ま、英語が通じないところなどは似ているにしても、やっぱり異国情緒ということを考えると、この国の良さ方がが目につきます。

 

もし本当に似ているのなら!ということで、それこそ日本に欲しいのは、、、

写真のような屋台的な飯屋さんですね。ほんと、どこの角にでもあるような。ありきたりかも知れませんが。

 

一応ネパール時のような貧乏旅行ではないので、ホテルという施設には泊まっているのですが、ご飯にはどうしてもこういった店に足を伸ばしてしまいます。当たったら嬉しいし、ハズレでもそれはそれで、後悔もなし(ネタにもなるし)。無愛想なおばちゃんがクックするわけですが、でも、やはりほとんどの場合おいしい。

 

日本に目を向けると、台湾と確かに似たようなチェーン、料理屋があふれ返っているのは事実ですが、街角の適当な屋台、またはそれに準ずる店、ってなかなか思いつかないですよね。逆に「屋台」という響きは、それを積極的にPR材料にしているような店か、祭りぐらいなのでは…。ぶらっと考えなしに立ち寄れるところにあったら、(金も必要以上にかからないし)、みんな幸せなのですが。

 

と、愚痴っぽい飯論になりましたが、

敢えて今、台湾で見知ったことを語るなら、

「選挙の候補者の写真がやたらと大きい!」

ということですね。これについては追い追い追記したい、と。

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「あっ、そう」 ドイツでも通じる日本語講座

2010/09/08 18:42

 

こんにちは

 

1週間ほどドイツベルリン出張に行っておりました。

 

トルコのホモセクシュアルの方に好かれたり、ベトナム風マッサージ体験で殺されかけたり、と、たくさん書きたいことがあったのですが、毎日3、4本出稿のマッサージより殺人的なスケジュールで、結局帰国翌日の報告となってしまいました…。

 

家電やらAV機器などの見本市「IFA」の取材が主目的だったわけなのですが、まぁ、バカでかいこと。村です。一つ、一つのブースが大規模な体育館みたいなサイズで、それが30個ぐらい。迷いました、何度も。LG目指していたら、変なコスプレブースに行き着いたこともありました。ドイツだけども、日本の見本市とはスケールが違うのですね。

 

で、今回学んだ言葉。

「あっ、そう」

これは便利だと思います。

なぜなら、日本語と同じ意味だからです。

 

「あっそ」という突き放す感じというより、

「あっ!そうなんだ?」と、ちょっと感心、納得する感じ。

 

ドイツ語での綴りはよく知りません。

ただ、「あっそう」と連発していたら、とりあえず、ドイツは乗り切れる!

 

そういうことですね。

 

ちなみにネパールとは違い、ちゃんと、風呂、机付きのホテルに泊まれました。感動、合掌。

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ネパールで小型機が墜落 邦人も死亡

2010/08/24 20:43

 

ネパールで飛行機が墜落しました。

 

こちらのニュース。

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100824/asi1008241657005-n1.htm

 

これは私がヒマラヤ取材に行った際に利用した飛行機と全く同じです。

正直なところ、「まさか…」というのと、「いつかはこうなる可能性が…」という気持ちが同居しています。

 

上の写真は、私がルクラに飛ぶ際にしたアグニ航空の飛行機です。山の間をくぐり抜けて飛行するなか、座席がやたらとぐらつき、機体がミシミシいうのに不安を覚えたのを思い出します。小さなアドベンチャーみたいだと楽しむ向きもありましたが…。何にせよ、それは整備うんぬんではなく、機体が小さく、振動をよく感じるだけという話ではあったのです

 

「いやぁ、あれはいつかは落ちるよ」

と、現地ではみんな結構冗談交じりで話していましたが、

実際に起きてみると、ショックでなりません。

自分が乗っていたとしても、全くおかしくなかったのです。

 

亡くなった方のご冥福をお祈りします。

 

また、事故の真相は今後の調査、捜索に委ねられるので、

判断を誤るようなことは言えませんが、現地の旅行会社関係者からは「おかしな点が多い」と連絡がありました。

 

というのも、空港は大体6時~30ごろ(このアバウトさがネパール)に開くにもかかわらず、現地の人によると、出発時間はなぜか朝5時。さらにルクラはカトマンズから見て東北東側にあるのに、なぜかカトマンズから南方の地点で墜落している。「このところ、雨季で何日も欠航していたので、この日、無理矢理出発したのではないか。不自然なことが多すぎる」と話しています。

 

今後の進展を見守りたいと思います。

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誰も決めない選挙

2010/08/13 20:12

 

あっ、と叫ぶ間に夏も終わりが見えるところまで。

かなり暑いが、しかし、バングラを経験した私に怖くないものはない。

でも暑い

 

さて、

頭を右に左に使わねばならぬ記事に四苦八苦する昨今ではありますが、

その間にも、彼の地ネパールでは、どうしようもない政治的混迷が続いています。いつもながら思いますが、日本もこれとほぼ同じだな、と。

 

具体的に説明しますと、

6月の首相退任後、何度も首相選挙を行っているわけですが、政党間の協議が進まず、8月7日の4度目でも決定しなかった。このときは、投票も形だけとわかっており、議員133人が棄権。それでも5度目の選挙には、主要政党から同じ人物が立候補する見通しで、まぁ、しばらく誰も決まらない無意味な選挙をし続ける心づもりのようだ。

 

この様子は私が現地にいた4月から全く変わっていないし、もっと言えば、共産党毛沢東主義派のプラチャンダ氏が首相を降りた昨年、もっともっといえば、王政が廃止された08年、さらにさらに極言してしまうと、ネパール政治が始まって以来ずっと一緒なのではないか。「国民不在」というか、「お遊び政治」というか。何かを前に持って行こうという気配すらしないまま、だらだらと自己主張を続け、何かの期限が近づいたときにだけ少し物事が進む。「ネパールはもう国民が全て思考停止状態ですよ」と、滞在30年以上の男性が言った話も真実味がある。国民の多くもあきらめちゃっている。

 

背後には、南アジアの大国インドがあります。ネパールで物事が大きく動くとき、逆に全く動かないとき、その他もろもろ、インドがすべて噛んでいる、というのは暗黙というかほぼ公の事実となっております。インド政府の太鼓判を得た人のみが時の政権につく。で、ネパールには常に〝配下〟にいてほしいので、政治混迷を長引かせるような働きかけもする。で、そういったインド属国的な流れに真っ向から反対するのが、毛派ことマオイストなのですが、いかんせん「インドは好きだけど、嫌い」な国民のなかでは物事も進まないのです。

 

と、久しぶりな投稿にもかかわらず、グダグダしちゃいましたが、

帰国後1カ月にして、紀行もののような記事が載りました。SANKEI EXPRESSという媒体です。普段に比べて2,3倍大きな写真が掲載されるのはやはり爽快です。

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イエティな人たち

2010/07/15 23:15

 

間が空いてしまいました。

ネパールでドロドロになったノートが消え、苦しんでました。

 

で、上の写真。

1959年のチベット動乱で、ダライ・ラマ14世が亡命した際に、一激しく厳しい道のりを共にした男性が開いたとされる「hotel utse」にて、奥さんと日本人男性が何やら話しています。

 

男性は八木原圀明さん。

日本山岳協会の専務理事を務められた方。

 

荒々しい風貌もすごいのだけど、

登山家としての山歴はもっと。ダウラギリ、アンナプルナ、エベレスト…

今やエベレストなんて世界一ということで年間数百人が登頂してしまう時代となってしまったが、八木原さんはエベレストを真冬にしかも一番厳しいとされている南西壁から世界で初めて登り切った。氷河湖で泳いだり、ヘリでパンツ一丁でエベレスト頂上にたどり着く昨今、八木原さんはいう。

 

「冬にやってみろってんだい」。

 

登山はしていないものの、トレッキングを経験してみた今だからわかる。登れるはずがない、というか登ろうという考えがまず浮かばない。南西壁は、もうひたすらただただ、壁だ。険しいとかそういうレベルではない。そう感じるしかなかった。

 

その八木原さんは、一線を退いた後も、何度もネパールに訪れている。

ネパールへの愛が1、でもう一つが、「イエティ捜索隊」だ。

 

71年に初めてダウラギリ4峰に登頂してからというもの、

八木原さんはいつもイエティの存在を気にかけていた。

そこにある足跡、かなり卓越した登山家でもザイルを用いなければならない。なのに、駆け足で上がったように、真っ直ぐ続いている。

 

「イエティなのか」

 

若いうちは、人の登ったことのないルート、条件下の挑戦を続けてきたが、

一段落して以来、長年の疑問を解く時期が来たと感じている。すでに2回にわたり、日本のイエティ捜索隊の副隊長を務め、イエティを探し続けた。

 

第2次捜索隊(2003年)

http://www.47news.jp/CN/200308/CN2003080701000005.html

 

第3次捜索隊(2008年)

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-34451320081022

 

2009年にはアメリカのケーブルテレビのクルーと一緒に数ヶ月、ダウラギリに滞在した。

 

で、一つ注意しておきたいのは、

前回はヒマラヤのクンブ地方のイエティの投稿をしたのだけれど、

八木原さんは「クンブの足跡はおそらく動物だ」としていること。八木原さんが追い求め続けているのは「バン・マンチェ」(森の人)とも呼ばれるイエティだ。その足跡はクンブで見つかった足跡については、人と比べて異様に大きな足、動きから、動物と理解した方が良い、とのことだ。ダウラギリにいるとみられる、より「ヒト」に近いイエティを探して八木原さんは歩き続ける。

 

登山には事故、そして悲劇はつきもの。

最初の登山から、毎度ギリギリの攻防で登り続けてきたダウラギリへの思い入れは人一倍だ。そんななかで見つけた足跡、だからこそ、イエティの存在にも確信めいた感触を手にしている。

 

ただ、まだ第4次隊の投入は決まっていない。現在63歳。だけれど、まだまだ挑戦したいことが山ほどある。(登「山」家だけに)。今は敬語ができなかったネパール語を洗練させている。「70歳までには死ぬと考えているからなあ、(4次隊は)わからない」とうそぶきはするけれど、ネパールに向いた足は現に止まっていない。

 

「八木原さんがイエティじゃないの?」

utseで宿の奥さんが言った。

 

「はっはっは」

豪快な笑いっぷりとは、全く似合わない穏やかで繊細な顔。きっとまた探してくれるだろう。私の見つけられなかったイエティを。

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ネパールのミッティ、チュッティって?

2010/07/05 20:20

 

引き続き、ネパールしがみつきネタで失礼します。

 

ミッティ、チュッティ、などと聞くと、日本では「~ティ」のアイドルが想像されるかも知れません。ミキティとか、、、ほかにいるのかは知りませんが。もしくはお茶ですかね。いずれにせよ、あんまり飲みたい名前のお茶ではないでしょう。

 

だがしかし大丈夫

ネパールのミッティ、チュッティは、かわいくも、飲みたくもありません。

 

要は雪男として著名な「イエティ」の分類だからです。

シェルパの人々にいわせると、イエティのうち、

①ミッティは、   人間を食べ、動物を食べない

②チュッティは、 人間は食べず、動物を食べる

ということらしいです。

 

今の若い世代は見たことがないが、

50以上の世代は全員が見た、もしくは足跡を見たと証言します。

 

私が取材のベースにしたクムジュン村では、イエティ(この場合チュッティ)に襲われたおばさんがおり、この話は村中の人に記憶されていました。

 

クムジュンから歩いて1時間強のモン・ラ峠の途中で、チュッティに川に投げ落とされたというのです。最初に遭遇した際は、川の向こう側で獣を襲っていたのですが、女性に気づくと、すごい勢いで襲いかかってきました。この女性は生きながらえたものの、その後しばらく、記憶がなくなり、まともにしゃべることすらできなかったそうです。(残念ながら、私の滞在時には、外出で会えませんでした)。

 

現在では、あまり、ミッティ、チュッティに会う人は少なくなっていますが、これには理由があるとのこと。

 

今から約15年ぐらい前のこと、

チベットに続くナンパラ峠近くの村で、村人たちがある作戦を展開しました。

 

彼らはそれまで、チュッティによる、家畜荒らしの被害に悩まされていたのですが、チュッティが丘の上から人間の行動をよく見ていて、真似をしたがるという特徴を利用した動きに出ました。彼ら(?)からよく見える場所で集まり、お酒を飲んだナイフを戻って、踊り合いを決行。これに嵌ったイエティは、酔っぱらい、お互いを傷つけ合って殲滅してしまうのでした。

 

これを説明してくれたシェルパの兄ちゃんの、踊りの表現の生々しさ、リアリティが忘れられません。彼らにとっては、イエティは「信じる」とか、そういった次元ではなく、すぐそこにいる身近かつ、恐ろしい存在なのだな、ということがすぐさま理解できました。

 

ほかにも、「イエティの足跡を見れば、つま先と逆の方向に歩いている」「70度の斜面でも駆け上る」などと、色々なエピソードを聞きました。記事にしたかったのですが…。

 

にしても、イエティは知られていても、ミッティなどについては日本では、まず、話に上がることはありません。今後、ヒマラヤ、クンブに行かれる方は現地シェルパに聞いてみても良いのではないでしょうか?

 

次回は、イエティ捜索にかける男性の話をお伝えします。

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【速報】ネパール首相 辞任へ 毛派

2010/06/30 22:11

 

ネパールのマダブ・クマル・ネパール首相が、辞任を表明した。

現地時間午後6時(日本時間午後9時15分)に開始した、国民向け演説で辞任を表明している模様。

 

まだ、どこの外電も報じていないが、

ネパールの知人からの情報と、現地英字紙がネットに速報を入れている。

 

http://www.myrepublica.com/portal/index.php?action=news_details&news_id=20507

 

ネパールでは5月28日の憲法制定期限日に、ネパール首相が5日以内に辞任することを受け入れたことで、共産党毛沢東主義(毛派、マオイスト)が制憲議会の任期延長を受け入れていた。ただ、ネパール首相は、毛派が内戦時に組織していた人民軍の正式軍への統合、リハビリ問題に具体的に応じる様子がない、などとこれまで辞任の姿勢を見せていなかった。辞任演説においても、毛派への不満をぶちまけているもよう。

 

ネパール首相の在任期間は13カ月だった。よく考えると、鳩山前首相より長い。ネパールでは国民不在の飽くなき権力闘争、足の引っ張り合い、わいろ、意味不明の法律などが作られ、ゴタゴタはいつものことだが、それでも日本より在任期間は長い。制憲の長い短いは何の指標にもならないかもしれないが、鳩山前首相が辞任したとき、「日本もネパールみたいなものだね」と現地議員に言われたときは、返事に困った。

 

ネパールの3大政党は、簡略化すると、少し保守のネパール会議派、社会主義的な共産党UML、共産主義の毛派の3つ。次は毛派になるのか、会議派になるのか。また、いす取りゲームが始まりそうだ。

 

ちなみに下は、私が滞在時に、ネパール首相の辞任を求めた毛派デモの様子。インド当局の言いなりとなっている首相を揶揄したものとなっている。

 

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「アジアのサッカーを見せられたかな」 サッカー類型の今後

2010/06/25 19:48

 

ネパールの小ネタを投稿しようと毎日コソコソ打っていたのですが、今日はW杯を話題にせずいつする、という話ですよね。

 

やはり、アジア(といっても辺境ではありますが)にどっぷり、身を浸していた人間としては、アジア各国の評が気になってしまいます。

 

とはいえ、私がいたのは最貧国のネパール。出場していないにもかかわらず、街中のサッカーまみれ具合が日本以上ではあるものの、如何せん現地にいった記者や、批評家がいない…。まぁ、現地のサッカーリーグも何というか、八百長が当たり前みたいな国ですしね、仕方あるまい。

 

ちなみに紙面では一応、最大発行英字紙のkathmandu postが海外での日本代表の愛称"Blue samurai"を用いたAFPの記事(http://www.ekantipur.com/2010/06/25/sports/blue-samurai-draft-new-chapter-for-japan/317244/)。で、有力紙の一つRepublicaは冷静に16強進出を称えるAP通信の記事(http://www.myrepublica.com/portal/index.php?action=news_details&news_id=20280)を掲載している。

 

と、まぁ報道がこういった形なので、まず、ネパールの友人たち。カメルーン戦の勝利では後半開始直後から「おめでとう!」と、持ち前の空気読めない電話を連発してくれていた彼らだが、デンマーク戦はというと、

 

「寝てた」

ほう。やはり、日本応援は私が居る間の建前だったのか。と残念がる間もなく、

 

「いや、俺は日本が勝つとわかってたから寝てたんだ」

嬉しいじゃないか。しかも、誰も彼も。

 

だが、騙されてはいけない。ネパール人は言い訳だけは天才だ。現地で働く日本人は皆そう口にする。一貫性のなさと緩さと、言い訳、これをうまくミックスするとネパール人が出来上がる。言い過ぎだが。そして、私はそのネパール人とそっくりらしい。

 

ただ、停電王国ネパールでは、夜の電気確保は厳しい。日本で3時半の試合は現地では0時15分、ほぼ真っ暗だ。日本と比べ、ほとんどの人がかなり早く眠りに着くことからすると、この試合は見られなくとも仕方ない。で、彼らのアジア諸国(主に日本、韓国)への思い入れは半端でないのはすでにお伝えした通り。今日入ったメールは「i support for japan cuz we are asian」。日本人は(日本人であって)、なかなか意識しない「アジアン」というアイデンティティに彼は誇りを誇りをもっているんだな。

 

と前置きが長くなりましたが、本題

主将長谷部の発言です。

 

「アジアのサッカーというものを世界に見せられたかなと感じています。日本サッカーだけではなくてね」

 

その場で取材できたわけじゃないので、どういった口ぶりだったかはわかりませんが、発言としては驚かされるものがありました。というのも、日本は自分たちのサッカーを模索するのに精一杯で、「アジア」といった枠組みでサッカーを認識するような考えがあるとは思わなかったためです。これをもし、アジアの周辺国でもがいている国々の人々が聴く機会がもしあったなら、本当に喜ばしく感じるのではないでしょうか。

 

直前のキャプテン抜擢の重圧からか、1,2戦目と本来の動きが見られなかった長谷部選手ですが、デンマーク戦の生き生きとした活躍の裏には、精神面での余裕があったのでしょうか。ちなみに、長谷部選手は今や、日本の屋台骨で献身的な活躍が目立っていますが、この人は実は破壊力のあるドリブラーです。松井選手みたいな華麗さ意外さは少ないですが、今後、チャンスと感じた機会には誰も手を足を出せないあの突破を見せてくれるのではないか、と密かに期待しております。

 

次は岡田監督の前戦後のコメント。

 

--アジアのチームが印象的な戦いを見せているが、感想をお願いします--との質問に対し、

「アジアのチームは非常にそれぞれ個性のある戦い方をしてきた。南米にはブラジルアルゼンチンチリとそ れぞれに違うスタイルがあるように、アジアのサッカーも韓国、日本、北朝鮮とそれぞれの特徴が出てきたという意味では進歩と言えるのはないか。技術のレベ ルが進歩したとは言い切れないが、そういうものが出てきたとは言えると思う」

 

やはり、日本きっての分析家。事実その通りかな、と感じました。やはり、「運動量、チームプレー」と、アジアと大枠で捉えることができる要素はあるものの、日本と韓国のスタイルは全く違う。韓国みたいな突撃型のアグレッシブさとは一線を画した、守備面でのアグレッシブさで今回の日本はリズムを作っている。

 

「アジアのサッカー」というスタイルがこの大会で注目されることになれば、これは我々AFC所属の国々としてはかなり大きな進歩だと思います。ここ数回のW杯ではアジアから4、5カ国が出場したところで、ほぼ全部がグループリーグで敗退しており、アジア枠を減らしてもっとアフリカ諸国の枠を増やそうという動きが活発化していたためです。そもそも、古典的類型になりますが、欧州→戦術、システム、南米→個人技、アフリカ→バネ、破壊力みたいな曖昧な色分けがされるなかで、アジアは特徴よりも何よりも「弱国」という印象が先について回っていたのが実際のところ。このWCで、本当に正しいかはどうとして「アジア型」というサッカースタイルが何か足跡を残せることになれば、これは一つ、歴史的な転換点とも成りうるわけです。

 

と長々となってしまいましたが、以上がサッカーの「アジア」を考えたときに、私が感じた心象です。

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